概要
のれんは布製である事から加工がしやすく、その大きさは様々である。基本的にはのれんを使用する場所の間口に横幅を合わせる。のれんの縦幅は利用目的に応じて異なるが、垂らした布が床、または地面に付く事はない。
のれんは人が通る場所に垂らされるため、人が通りやすいよう、1枚の布が複数に割れている構造である(実際の作りは複数枚の布を縫い合わせ、割れ目を作る)。
のれんが店舗の入り口に掲げられる場合、屋号・照合等を染め抜かれた柄を持つ事が多い。
日本の風土・文化では、民間風俗を描いた絵巻物(信貴山縁起絵巻、年中行事絵巻等)にも見られるよう、建物の内と外が開け放たれていることが多かった。このため、直接風や光が入るのを防いだり「寒さよけ」として布を取り付け、利用したのがのれんの始まりと考えられている。
また、内部が外から露骨に見えなくする目的も持ち合わせ、現代おいても屋内で使用される場合、この様な目的で使用される。
のれんの歴史は古く、平安時代末期には現代と同じ形が存在していたとされる。このため、日本文化への浸透も深く、「のれん」が含まれる慣用句が様々ある。また、のれんの本来の目的とは別の意味合いも派生し、「店舗の前にのれんが掲げられていなければ営業していない」等、日本人独特の解釈にも影響を与えている。
起源
現存する歴史資料の中でのれんが登場するのは平安時代末期の絵巻物である、信貴山縁起絵巻には現代と同じ形ののれんが描かれており、この時代には既にのれんが存在していた事が証明されている。ただし、この時代では「暖簾」とは呼ばれておらず、「
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歴史
平安時代末期以前
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鎌倉時代
武家が台頭してきた当時、暖簾には家紋が染め抜かれることが流行りだしたとされる。武士は戦場において敵味方の区別を見分けたり、自分の手柄を確認させたりする必要性から、旗印等、自分の身分、立場を分かりやすくする掲げる事が行なわれた。「家紋」自体は平安時代末期に公家の一部で流行ったようだが、一般的ではなかった。本格的な合戦が増えた鎌倉時代に前述の様な理由から、自分の身分(出身の家)を象徴する「家紋」が武家の間で爆発的に普及し、旗印や甲冑に付けられるようになる。
家紋はあらゆる場面で利用され、その一つとして玄関先に掲げる暖簾も挙げられる。
これが看板としての暖簾の始まりと考えられている。
また、武家の間で広く信仰を得た禅宗は、やはり鎌倉時代に普及しており、「暖簾」という言葉、暖簾を門前に掲げるという行為も武家を中心にで広がったのではないかと考える。(裏づけは無い)
室町時代
商家の看板の役割としてのれんが利用され始めたのはこの鎌倉時代~室町時代とされている。
一般庶民の識字能力が低かったこの時代にその店の屋号や商材を認識させるために家紋が染め抜かれたのれんは都合が良く、
のれんの色は業種を認識させるために、業種毎に違ったとされている。
また、楽市楽座の様な商業体制の改革により、商業が大きく発展したのもこの当時である。
江戸時代~近代
看板の役割を果たす、しるしのれんが定着し、言語にも影響を及ぼしたのがこの頃である。「暖簾を分ける」、「暖簾を守る」、「暖簾に傷が付く」等の慣用句が出来たのもこの頃とされており、商工業を営む上で重要なアイテムとして用いられた。
屋号を暖簾名(または単に暖簾)と呼び、商店の信用・格式も表すようになった。
また、一般庶民の識字能力が向上に伴い、のれんに文字が使用されるようになり、屋号・商号等が染め抜かれるようになった。
戦前戦後の屋台・飯屋などの店では、客が出て行く時に食事をつまんで汚れた手先を暖簾で拭いていくという事もあり、
「暖簾が汚れているほど繁盛している店」という目安にもなっていた。
現代
現代の商工業が多用化した中でも、日本伝統の商材を扱う業種や和風の素材を扱う業種では江戸時代と同様に看板として利用されている。
もともとの目的であった、風除け、埃避け等は住宅機能の変化と共に失っているが、日除けとしての機能はガラス窓の普及もあり、現在においても利用される。特に、1枚の大きな布を紐でつるし、下部に重りを付けて利用する日除けのれんは、お店の宣伝目的としても利用されている。
看板以外の目的としては、空間の仕切りとして利用される事が多く、その場合、インテリアとして部屋の装飾も担う。
種類
概ねサイズによる呼び名の違いとなり、日除けのれんは、日光の遮蔽、目隠しの目的と共に、お店の宣伝目的で作成される大型のれんで、風になびいてバタバタと音をたてるところから、「太鼓のれん」とも言わる。
標準的なのれんサイズが、約1m13cmとすれば、半のれんは、約56cm、長のれんは約1m60cmくらいが
基準となる。横幅が特に広いもので軒先間口全体につるされるのれんを水引のれんと呼ぶ。
この他、用途によって分類した「楽屋のれん」、「花嫁のれん」等、布製ではない「縄のれん」、「珠のれん」等がある(弊社では現在取り扱いがございません)。
標準とされるのれん
のれんのサイズは用途によって様々だが、布幅は概ね、のれんをかける間口の横幅、布丈は約113cmが標準的なサイズとされる。標準的な暖簾を入り口に掲げた場合、標準的な日本の成人男性の胸から腹辺りまでの高さとなる。
半のれん
半のれんの「半」とは布丈が半分の意味。標準的なのれんが布丈113cmであり、この半分の56cm前後ののれんが半のれんに類する。
現在、印染めを施されたのれんの一般的なイメージとして定着しているのが半のれんであろう。
半のれんを入り口にかけた場合、標準的な日本の成人男性の顔の高さとなり、のれんをくぐって、屋内に入る事になる。この事から「のれんをくぐる」という言葉が派生したと考えられ、日本人ののれんのイメージにも影響を与えている。
半のれんは寿司屋、蕎麦屋、ラーメン屋等、大衆的な飲食店で使用される事が多い。これはその店が盛っている事を往来する人々にアピールするため、外から店内を見易くするため、また人が入り易くするためと考えられている。
長のれん
標準的なサイズより、50cm程布丈が長いのれん。布丈約160cmで標準的な日本の成人男性の腰から太腿程の高さとなる。
日除け、目隠しが主な目的となり、料亭等、外の喧騒とは一線を隔す空間としたい場合に用いられ事が多い。また、室内においても目隠しとして、お手洗いとの仕切り等に用いられ、仕切られた空間を構築するような用途として重宝する。
入り口においても日差しが入り易いような条件の場合には、入り口の日除けとして長のれんを選ぶ場合もある。
日除けのれん
日差しが入り込む窓の外に設置し、日光の遮断、目隠しの目的で使用する。形状の特徴として、一般的にのれんと呼ばれる物と異なり、割が無く大型である。店舗に設置する場合、概ね目立つ位置に設置されるため、店舗の宣伝としてのデザインが施される事が多い。
風になびいてバタバタと音を立てる事から「太鼓のれん」とも呼ばれる。
水引のれん
横に長く、布丈が短いのが特徴。横に長い軒先から垂れるようにかけられ、片付けられる事が無く、常時軒先にかけられている物が伝統的な使用法となる。
布丈は45cm程で主にほこりよけ、鴨居下の荒壁を隠す目的で使われていたとされている。
水引のれんも他ののれんと同様に店舗のアピールとして、商号や家紋などのシンボルを印染めして、使用される事が多く、設置される場所も通りに面した軒先となるため、宣伝効果も高い。
また、現代においては店内の厨房と客席、特にカウンターの上部に設置され、店内の装飾として使用される場合もある。
湯のれん
銭湯や温泉で、脱衣所と番台、廊下等を仕切るためののれんを特に湯のれんと呼ぶ。
目隠しの役割と男湯、女湯の区別を明確に伝える役割がある。
また、湯のれんには地域差があり、関東では布丈が短く5枚、関西では布丈が長く3枚となる。
楽屋のれん
花のれんとも言う。役者・歌手等の楽屋に暖簾をかける習慣があり、これを特に楽屋のれんと呼ぶ。
役者等のファンから贈られることが多く、楽屋のれんを贈られる事が舞台人の一つのステータスとされている。
一般的な楽屋のれんは、割り数は2~3枚。
花嫁のれん
加賀・能登・越中に江戸時代から伝わる庶民の風習。加賀藩の領地であったこの地域では、花嫁の実家の紋を入れたのれんを嫁ぎ先の仏間の入り口にかけ、仏前で手を合わせ「どうぞよろしくお願いします」とお参りしてから結婚式が始まるという習慣がある。
この時に使用するのれんを「花嫁のれん」と呼び、加賀友禅の技法を用いて作られる物が多い。
縄のれん
上述にある暖簾とは製法、素材が異なり布製ではない。縄を幾重にも垂らした物。
居酒屋、一膳飯屋に下げられる事が多かったため、居酒屋、一膳飯屋そのものを指す言葉として用いられる事もある。
縄のれんに使われる縄は太さ5mm程。かけられる間口の幅の長さ程度の棒に、行く筋もの縄を留める。この棒には竹が用いられる事が多い。暖簾部分の上部に飾り編みが施されるのが特徴で、これは日本の建築様式に見られる欄間と同様の装飾方法である。
縄のれんは店舗の入り口など屋外で利用される。
珠 のれん
縄のれん同様、布製ではない。複数の球状、管状の「珠」を貫いて糸を通し、数珠状になった物を幾重にも垂らした構造をとる。
珠は色、形状、大きさが様々で、全体で模様となるように珠を並べて作る。珠のれんをくぐると「カラカラ」と音がするのが他ののれんに無い特徴と言える。
珠のれんは縄のれんと異なり、家庭での間仕切りを兼ねたインテリア用品として用いられる事が多い。